ホーム 折々の想い 写真帳 協働農園日記 my roses そらもよう
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そらもよう
元気ハツラツな娘2号です。
文章を書くのが大好きなので、突然コラムなどこさえてみました。
お暇な方はお付き合いくださいませm(_ _)m
 

31    未来の自分のために (2005/11/11)
 
未来の私は、ちゃんと覚えていて頑張ってるかもしれないけど、
もしかしたら忙しさにすっかり忘れてるかもしれないから、
これを読んで思い出して欲しい。
 
私が思い描く獣医さん、それは学校帰りの子供たちが「先生?っ!」って入ってきて、
自分のうちのイヌの話や学校のウサギの相談をしてくれる獣医さん。
公園ぐらい当たり前に子供が寄り道できる病院。
やろうと思えばできると思うんだ、『子供のための動物との遊び方教室』。
 
前に、とっても大きな腫瘍ができたウサギを連れてきて
「これを見たら子供たちがショックを受けるから安楽死して下さい」
と言った学校の先生を見たことがある。
おかしいでしょ、完全に!
1羽のウサギを子供たちは識別しているし、いなくなれば不思議に思う。
どうしていなくなったの?自分たちはもっと何かしてあげられなかった?
そんな、まだ自分で情報を集めることを知らない子供たちに、
どんなふうに友達と過ごしてあげたらいいか教えてあげたい。
毎月第2、第4日曜は子供と動物の日!みたいな感じで。
家では飼えない子にも動物の暖かさを教えてあげたい。
 
夢見ごとかなぁ。
だとしても口に出して初めてかなえられる夢もある。
先生になりたいと思ったほど子供が好きで、人が好きで、
それでもかなえた獣医の道だから、
子供と動物の交流の輪を広げながら、私は進んでいきたい。
 
 

32    負けない自分 (2005/11/04)
 
負けない自分に出会った。
 
その日はとてもしんどかった。
色々あって、何もしたくなかった。
それでも既に組まれた予定もあった。
なのに、たまたま疲れたその人から心ない一言を浴びた。
違う誰かは必要なのか必要じゃないのかわからない頼り方をする。
 
ああもう嫌だ。
そう思って、少し泣きそうになって外に出た。
ぼーっとグラウンドをかけまわる人を見る。
時間が過ぎる。
雲が流れる。
色々考えたようで、何も考えず風に吹かれる。
 
ああ、いいや、やろう。
垂れていた頭を上げて、3回大きく深呼吸。
澄んだ空気が胸を満たす。
 
そこから頑張って、その日、負けない自分に会った。
多分また会える。
いつでも。
そう思って今日も頑張ろう。
 

33    祖母の冥福を祈り  (2005/11/01)
 
電話でその知らせを受け、
受話器を置いてからしばしぼんやりと時間が過ぎる。
黒のスーツ、靴、タンスにある?学校だっけ…。
何が要る?
朝の7時という時間に体温が上がらず、
買い置いた朝食を食べる気も起こらない。
シャワーを浴びて目を覚まそう。
 
外に出て朝の風に当たって目が潤むのが
悲しみなのか動揺なのか、寝不足のせいなのか
自分でもよくわからない。
 
中学3年生の冬、母方の祖父の葬儀に出席した私は
自分の記憶とは変わってしまった祖父の痩せた顔に死の実感がわかず、
1歳上の従姉妹が涙を流す姿に動揺した。
自分の涙が出ないのを、祖父と会わなかった2年半の年月のせいにした。
 
もう目を覚まさない祖母の寝顔に対面して、
私は潤む涙を堪えた。
なんでか私には母のように自然に涙を流すことができない。
でも今回は中学生の時の自分とは違い、全然実感があった。
悲しかった。
祖母が私をかわいがってくれたことも、
自分がどこか祖母に似た自分を誇りに思ったことも覚えていた。
 
人前で涙を流すのは慣れていない。
それがひどくもどかしい。
今更、かわいがってもらった祖父のことにも思いを馳せて涙するのは
センチメンタルすぎかなぁ。
 
思い出にさえいつでも涙が溢れる弱い自分だからこそ
人前で涙を流すのは慣れていない。
こんな私を、どうぞ今いる場所から見守っていて下さい。
 
この晴れ渡る青い空の日に、祖父と祖母の冥福を心から祈って。
 

34    獣医の卵6年生  (2005/10/19)
 
半年後には獣医さんになるってぇのに、
獣医さんに必要な知識や実習よりも
我らはせっせと実験をします。
そんなもん、それが日本の大学生ってもん。
例えば半年後は銀行マンになる子も
ドラえもんになる子も、残りの半年は実験。
せめて国家試験の勉強がしたいと思っても、
こんな実験するために獣医学科来たんじゃないと思っても、
こればっかりはしょうがないのか?
ああ早くイヌに触りたいっ!
 

35    不思議不思議。 (2005/10/18)
 
いつも不思議に思うのは、調子のいい日々が続いている時は
言葉を綴ろうという意欲や、残さなきゃという思いが薄れるけど
それがなんでなんだろうってこと。
そしてその後訪れる溜まった疲労の中に、調子のいい間の言葉は
埋もれる。
楽しいことの後、それを言葉にする余裕があってさえ、それを
敢えてしたいと感じない。
 
しんどさがちょっと遠のいて、少しけだるく過ごした後、
いろいろな思いが押し寄せて、そして私は心をつづる。
 
だから、
私が口から発する言葉を知る人と、
私が指先で紡ぐ言葉を知る人で、
私の印象はきっと全く違うんじゃないだろうか?
「意外と繊細だね」
かけられる言葉から『意外と』のフレーズがとれることはないもの。
 
自分の内側と外側のギャップを笑って認められるようになるのに
26年かかった。
 
『遺書?5人の若者が残した最期の言葉』という本を読んで、
同じ種類の生き方下手な少年に会った。
内側を悟られずに生きる、「誰もが明るく優しい子」と賞賛する子。
友達がたくさんいるのに誰も彼が苦しんでいたことを知らない。
心のSOSの表し方を本能的に知らない。
またはSOSを発する自分を嫌悪する…。
彼らは何度一人で悔し涙を飲み込んだんだろう。
閉じ込めた辛さ。
それを気付けなかった残された人の辛さ。
 
ようやく私は『成人』できました。
心配されることを受け入れられる。そんな26歳。
もし偶然が重なれば、あるいはもし偶然が重ならなければ、
彼らも迎えたであろう『心の成人』。
 
私は今生きて頑張れることも不思議だよ。
みんなみんなありがとう!
 
 
ようやく私は『成人』できました。
心配されることを受け入れられる。そんな26歳。
もし偶然が重なれば、あるいはもし偶然が重ならなければ、
彼らも迎えたであろう『心の成人』。
 
私は今生きて頑張れることも不思議だよ。
みんなみんなありがとう!
 
 

36    白  (2005/09/11)
 
少しずつ汚れていった白は、いつから耐えられないグレーになったのか
ちょっとぐらい汚れても笑顔でスッキリ洗い流し
シワのよった心には太陽のアイロンをかける
またすぐにクリアな白に戻れる、そう言い聞かせた歳月
 
いつの間に洗っても落ちなくなったんだろう
正常と異常の境目?
グレーなのって異常なの?
今の私は白くなれた頃の私とは違う…?
 
「グレーなのは異常じゃない、グレーにならない方がおかしいんだよ」
「ただね、自分の力で漂白できなくなっているのは、SOSのサイン」
 
若干の胃痛をかかえつつ、
少々汚れてめげたって白を取り戻せる自分に再会
パワーアップして…、今は顔を上げて笑える
 
 
 



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